こんにちは。
今回のテーマは、私が体験した熊本地震についてです。
2016年4月、当時熊本に住んでいた際に、震度7の地震を体験しました。
あれから5年近くになります。熊本城の天守閣から足場が外れたり、新阿蘇大橋の開通など、復興のニュースも届くようになりました。
しかし、このブログを書く数日前には、南太平洋でマグニチュード7.7の大きな地震の報告もありました。今後南海トラフの大地震も来ると予測されています。そういったときに備えて、小さなことでも参考になればと思い、地震発生時や地震後の事など、ブログに書き残しておこうと考えました。
この記事はこんな方におすすめ
- 大地震に不安を抱えているかた
- 当時の状況を少しでも知りたいかた
- 地震に対して、気持ち的に備えたいかた
この記事の内容
1.熊本地震の規模について
2.2016/4/14 1回目の震度7発生時の行動
3.初日の地震でのポイント
4.2016/4/16 2回目の地震での行動
5.2回目の地震でのポイント地震後の生活あれこれ
6.まとめ
熊本地震実体験から伝える大地震への備えと心構え
地震の規模
2016年4月14日、1回目の大地震。
最初の大きな揺れの後も大きな揺れがありました。主な震度と時間は以下の通りです。
・21時26分 M6.5 最大震度7
・22時07分 M5.8 最大震度6弱
・翌15日 0時03分 M6.4 最大震度6強
そして、2016年4月16日、2回目の大地震。
・1時25分 M7.3 最大震度7
後日の報道で、これが本震だと知りました。前震で震度7があるなんて思いもしない出来事でした。
・4月16日01時46分 M6.0 最大震度6弱
・4月16日03時55分 M5.8 最大震度6強
・4月16日09時48分 M5.4 最大震度6弱
震度6以上が多発したことも驚きですが、震度4以上の揺れは、もっと頻繁に起こっていました。本震後、1年以上経過しても余震が続きました。余震もそんな期間続くものとは思わなかったです。
2016/4/14 1回目の震度7発生時の行動
状況の把握
当時は、私は熊本におらず、新幹線で移動中でした。おそらく小倉あたりを通過中だったと思います。地震発生で、新幹線がストップ。出張帰りで車内で寝ていたこともあり、最初はなぜ止まっているのか状況が把握できていませんでした。
最初に状況に気付いたのは、知人や家族からの大量の安否確認の連絡でした。それで初めて異常事態に気付きました。スマホは使えたので、ニュースを確認すると熊本で震度7の文字。ここで、初めて妻の安否を気にする状態でした。
交通手段の確保
困ったのは帰る手段がないこと。幸い久留米駅までは在来線が動いているということで、そこまでは電車で移動しました。
その後両親に久留米駅まできてもらい、久留米駅から熊本の自宅までは車で移動することにしました。
駅の位置関係は地図参照してください。この距離をタクシーでとなると3~5万円はかかるかと思われます。
自宅についたのは、深夜2時頃だったかと。妻の無事も確認。震度7も異常事態ですが、当時、妻が妊娠中だったこともあって
本当にほっとしました。
夜中だったということもあって、渋滞がなかったことも良かったことです。昼間に起きていたら、もしかしたら渋滞でもっと帰宅が遅れていたことも考えられます。
余震もある中、熊本まで一緒にきてくれた両親には感謝しかないです。今考えると割と両親には無理をお願いしたものです。
想像と違った被害状況
想像していたほど熊本市内に被害はなかったです。あくまでも思ったよりです。
大震災っていうと、東日本大震災や阪神・淡路大震災のイメージしかなかったので、火災が発生したり、家が倒壊してしまったりというイメージでした。
しかし、倒壊も一部だけに被害が出ていたようなので、帰宅途中もこれなら大丈夫だろうという勝手な安心感は持っていました。
職場の状況を確認する
自宅に帰った後、職場の状況も確認に行きました。倒れているものの特徴として、高さがあるものは倒れているものが多かったです。それは重量があるものでも同じでした。重ければ倒れないというわけではないですね。
発生時は誰もいなかったのが幸いでした。もし誰かいるときであれば、もしかしたら下敷きになっていたかもしれません。地震対策で転倒防止のグッズがありますが、もしものために備えておくことは必要だと感じました。
この日は、職場の被害状況を一通り確認して、報告をするというところで終わりました。
この時、深夜にも関わらず建物の管理をしている会社の方が見に来てくれていました。その他管理しているところも確認しているとのこと。ご自身の自宅も被害があるだろうに、本当にありがたいことでした。
安否連絡がとにかく大変
移動中いろいろな人から安否確認の連絡がきました。1件1件返信するのは割と大変でした。知人や家族はやはり心配するので、しょうがないですね。今思えば、LINEのタイムラインなどに投稿してしまえば良かったと思います。
職場の安否確認は一番厄介でした。上司が誰か取りまとめてくれたら良かったのですが、それぞれに安否連絡を要望するので、その対応が大変でした。
当時は、社長、常務、部長、課長とそれぞれが、個々に安否確認を要求してきました。時間差で連絡をしてくるので、それぞれに返答し、さらに返答がないと催促が来るという状況でした。
心配してくれるのはありがたいんですが、こっちはそれどころじゃないというのが当時の本音でしたね。
会社として、緊急事態に備えての連絡網があるのですが、それが全く機能していなかったことが問題だったと思います。
この地震の後で、問題点など会社でも話し合いが行われたので、再度災害時の対応のマニュアルなどが見直しされました。マニュアルは作ることは必要ですが、実際災害があった時に、きちんと機能するかが重要です。
地震の前にもマニュアルはありましたが、それが活用されなかったことが問題でした。きちんと連絡体制も図式化されて、連絡の流れもきちんとできていたのですが、全く活用されていなかったです。
社内でそういうマニュアルがあるのであれば、日ごろからの訓練などがやはり必要だと感じました。
初日の地震でのポイント
ポイント
・車内の放送はしっかり聞く
・お風呂に水をためる
・遠方から帰宅なら水や食料を買う
・社員の命を大切に
・連絡網を作っておく
車内の放送はしっかり聞く
当時は、新幹線の車内で寝てたので、最初は新幹線が止まっていることも気付いていませんでした。急遽博多駅までの運行になったことも気付かなかったです。
イヤホンで音楽を聴いていたこともダメでしたね。車内放送を遮りました。
地震後はからは、車内放送をしっかり聞くようになりました。こういう時の情報は本当に重要です。
お風呂に水を貯める
地震後は水道が使えなくなる可能性があります。もし水が出るなら、水が出ているうちにお風呂に水を貯めましょう。トイレを流す水として利用できます。
妻が言っていましたが、テレビで言ってくれたから、”お風呂に水を貯める”という発想が出たそうです。テレビを見てなかった思いつかなかったとのこと。
状況的に冷静に行動できないので、情報収集も含めて、テレビやラジオをつけておくことも必要です。
遠方から帰宅なら水や食料を買う
今回はたまたま自宅にいなかったのですが、遠方から帰宅ができるなら、水や食料を少し買い込んで帰ることをお勧めします。地震後は物資が不足するからです。
震災後は熊本の隣、福岡県でも水が不足するなど物資不足がありました。そのため、遠方から帰宅するのなら、少しでも購入していると地震後の生活に蓄えができます。
社員の命を大切に
社員の命は大切にして欲しいです。会社の為にがんばっても何も保証はありません。
私が博多で止まってしまったばっかりに、部下の社員の子が会社の様子を見に行くことになりました。実はこの子のところは、熊本市内から離れており、被害が市内よりも大きい地域でした。
市内からは、結構離れているところに住んでいたのですが、誰か見に行かないといけないということで、その子が会社に行くことになりました。
暗い夜道、余震もある中に、遠方から様子を見に行かせるという上司の判断が、かなり信じられなかったことを覚えています。
会社経営されている皆さんは、ぜひ社員の命を最優先で考えて欲しいと思います。本当に何もなくて良かったです。
連絡網を作っておく
災害時の連絡網は作成し把握しておくようにしましょう。
特に会社では連絡網を作っておくといいと思います。この時、社長、常務、部長とそれぞれの上司が従業員の安否を確認するように個別に連絡してきました。
個別に連絡をしてくるため、個別に同じ内容を返信しないといけない状況で、かなりイライラしたものです。
返信が遅いからと言って、「まだか」と催促するのもお勧めしません。現地の人はそれどころじゃないです。
こういうことを防ぐためにも、緊急時の連絡網を作っておくと非常に助かると思います。
ちなみに従業員の方の安否確認ツールとして、1つサイトを紹介しておきますので、参考にしてください。
2016/4/16 2回目の地震での行動
震度7ってすごい
2回目の地震は深夜に発生。今回はちゃんと熊本にいました。震度7の揺れを体験するやつがありますが、あれ大げさじゃないですね。
震度6とか体験したことはありましたが、震度7になるとレベルが違います。ここまで差があるとは思っていませんでした。
また、恥ずかしながら、私は当時、パンツ1枚で寝るのが習慣化してました。揺れの中で、服を探していましたが、結構揺れるので、無理ですね。思ったように動けません。
服探しているうちに建物に潰されたり、逃げ遅れたりするかもしれないので、ぜひ服は着て寝ましょう。
実際探している途中に、炊飯器が頭の横あたりに落ちてきたり実は危なかったみたいです。当たらなくてよかった。
自宅の被害確認
揺れは大きかったんですが、物が落ちている以外被害はほぼなかったです。
電気がすぐについたのも助かりました。電気がつかなかったらもっと困っていたと思います。ちなみに停電が続くようであれば、「ブレーカーをOFF」にしておきましょう。電気が戻ったときに火災が起こる可能性があるからです。
台所の棚が開かなくなったんですが、地震の時に物が落ちないようにロックがかかる仕組みでした。そうとは知らず、強引に開けて扉を破壊しました。しょうがないと特に請求されなかったのは助かりました。
ちなみに、当時住んでいた、震災対策ばっちりな住居は大和ハウスさんの物件です。震度7には耐えれるように作ってるそうですよ。
食器棚も地震で扉が開かなかったのは助かりました。食器棚の中では皿など割れてましたけど、飛び出してこなかったのは良かったです。
割れたものが散乱していたら、足を怪我していたかもしれません。大地震の後は、室内でも靴を履いておくのもいいかもしれません。
ちなみに使用していた食器棚はニトリで購入したものです。
職場の確認
本当は、この日の前日4/15の昼間にある程度片付けをしていたんです。そうしたところ、2回目の地震です。片付けは無意味になってました。
初回は問題なかったところも、2回目では耐えれないところもありました。1回目でダメージがあったというのもあるのでしょう。
広い建物は大なり、小なり天井が落ちてくるので要注意ですね。壁のタイルなど2回目は耐えきれず落ちてきているところもありました。
2回目の地震でのポイント
ポイント
・2回来ると耐えきれない
・服を着て寝る習慣を
・不安なら広いところへ
・メガネは枕元に
・不安なら広いところへ
・余震がとにかく怖い
・懐中電灯など用意しておく
2回来ると耐えきれない
初回のダメージが残っているため、2回目の地震で被害を受けた建物が多かったです。
自宅の倒壊を恐れて2回目の時は車中泊をした方もいました。
1回目の地震の後、家に戻ったために、2回目の地震で自宅が倒壊して亡くなった方もいらっしゃいました。
まさか2回目がくるとは誰も考えていなかったと思います。ただ大きな地震の後は余震もありますので、油断せず判断することが大切です。
服は来て寝る習慣を
パンツ1枚で寝るという人の方が少ないと思いますが、夏場になるとそういうかたも増えるかもしれません。
自宅が倒壊なんてしようものなら、命は助かったとしてもパンツ1枚で救助されるかもしれません。何かあったときにすぐに逃げることができるようにしておきたいですね。
メガネは枕元に
メガネをかけている方は手元の届く範囲に置きましょう。
私は視力が悪いんですが、枕元にはメガネは置いていませんでした。私みたいにメガネがないと何も見えないような人は、ぜひ枕元にメガネを置いて寝てください。
物が落ちている中、見えない状態で歩き回るのは大変危険です。
不安なら広いところへ
広いところ、落下物がないようなところだと安心感があると思います。
ご自宅に倒壊の危険を感じたり、広いところが安心という心理があるのかわかりませんが、広い駐車場には、地震後たくさんの人が避難しにきていました。
1人暮らしの人など、1人で不安なときは、そういう場に行くと多くの人が集まっているので安心できるでしょう。
余震がとにかく怖い
熊本地震の特徴として、とにかく余震が大きいということがありました。
熊本地震が珍しいのでしょうが、余震で震度6クラスが続くのはトラウマでしかないです。熊本地震はやや特殊な感じもしますが、どの大地震でも余震はくるので十分注意しましょう。
懐中電灯など用意しておく
懐中電灯だけではないですが、もしもに備えて防災グッズは準備していますか?
私は懐中電灯もなかったので、停電が続いていたら正直大変な目に合うところでした。ガスも止まると調理ができなくなります。携帯用のガスコンロを持っている方もいたようです。
何かあった時のため、防災グッズぜひ用意したほうがいいですよ。下記サイトからも購入できますので参考まで。
地震後の生活あれこれ
ガス、電気、水
ガス・電気・水、一番助かったのは、電気が使えたことです。
一部ダメな地域もありましたが、電気が使えたことは助かりました。
ガスの復旧も地域差はありますが、比較的早かったと思います。
水に関しては、井戸水がある家庭は問題ないのですが、井戸水がない家庭は給水車が頼りです。熊本地震の際は、井戸水をお持ちのご家庭が近所の方に開放する姿も見受けられました。
苦労していたのは、マンションなど高層階に住んでいるかたです。
水については、低層階に住む人は水が出るのに、高層階についてはポンプの力不足のためか、水が出ない状況が続いていました。私の知っている方で高層階にお住いの方は、地震後半年以上水がでなかったそうです。
また、エレベーターもしばらく使えなかったようで、高層階の方は階段を昇り降りすることになり、こちらでも苦労されていました。
車までたどり着いて、自宅に忘れ物をしたことに気付き、再度階段を上るという苦労をされた方もいたようです。
熊本地震の経験から、「水を備蓄する必要性」と「高層階には住まないほうがいい」という心構えができました。
お風呂
水が出ないためしょうがないのですが、温泉施設など3時間待ちになっていたようなところもありました。
スポーツクラブに在籍していた方などは、その施設を利用できたため、お風呂問題は解消されていたようです。日頃そういう施設に入会しておくのもいいのかもしれません。
お店から商品が消える
物流が止まったり、買い占めがあるからだと思いますが、こんなの見たことないというくらい商品陳列棚が空になります。
パンや缶詰、レトルト食品、飲料、とにかく不足します。
しばらくすると安定供給できていましたが、地震直後は本当に何もない状況でした。
少しでも手元に届くようにと、イオンでは、外で食品を販売するなどおこなっていました。従業員の方たちも被害にあっているのに、地震直後にそういうことを行ってもらえるのは本当にありがたかったです。
また、地震で屋根が壊れるので、雨漏り対策としてブルーシートが大活躍します。ホームセンターでも大量に入荷して対応していましたが、地震直後は本当に不足していました。
一戸建てのご家庭は、少し大きめのブルーシートを持っておくと、もしもの時にいいかもしれません。
地震後の復旧作業ですが、1年経過してもまだ順番が回ってこないという方もいました。個人宅の復旧よりも、全体で必要なところ、公共の建物の修理が優先されていました。
その間ずっと屋根はそのままです。大変なご苦労をされているかたもいらっしゃいました。
ガソリンスタンド
地震直後、スタンドもかなり混みあいました。
セルフスタンドは24時間営業していましたので、深夜に行けば、待ち時間なく給油できました。お昼間は渋滞するので、夜間営業しているなら、夜に給油する方がいいでしょう。
情報に気を付ける
ニュースにもなりましたが、本当にデマが流れることがありました。
「動物園からライオンが逃げ出した」っていうのが有名ですかね。
これ以外にも、嘘の情報や詐欺の情報が流れてきました。それを信じた人が拡散させ、その知り合いが、またさらに拡散させるという状況でした。
でも悪い情報だけではありません。例えば、どこそこのお店に食品が入荷され、何時から販売されるなど、有益な情報もありました。情報を見極めて、それを活用することが大切です。
また、県や市から発表される情報は把握しておくといいですね。
個人的には、「Twitter」の情報力はすごいと思いました。デマもあるのですが、食料品の入荷情報など、とにかくタイムリーな情報が出ており非常に有効でした。
正しい情報を見抜く力は必要にはなりますが、便利なツールは使いこなしたいものです。
長期続く余震の弊害
長期続く余震で、常に揺れてる感覚になったり、地震の揺れに対して感覚がマヒします。
毎日余震がくると常に船に揺られているような感覚になります。24時間船に乗るという経験をされる方は、なかなかいらっしゃらないと思いますが、長時間船に乗っていると、その感覚が陸に上がっても続きます。それと同じ感覚が続きます。
船酔いのようなことにはなりませんでしたが、気持ちのいいものではありません。
また、余震が続くと地震慣れしてしまいます。感覚がマヒするんだと思います。
今もそうですが、震度6弱ぐらいまでの地震だとあまり恐怖を感じなくなりました。この慣れは、危機感が薄れているようで個人的には怖いと感じています。
まとめ
さて、長くなりましが、今回は熊本地震で経験したことをまとめてみました。今後、大きな地震が予想されている地域もあります。こうした経験談が次の災害で少しでも活かされたらいいなと思います。
地震後、不安を抱える人も多く、人がいる場所にいたいということで、人が集まるコミュニティを探す人もいました。これは、地震前まで当たり前に使用していたコミュニティが使用できなくなったことも原因の1つだと思います。
家に1人でいるのが怖いという声も多く、心の平穏には、人と人とのつながりが重要なんだなと感じました。
復興に関わる人たちの苦労もかなりのものがあると思います。
役所の人も、罹災証明の発行などもあり、連日かなりの苦労をされていたと思います。復旧工事にあたる、建設業の知り合いの方は、日に日に疲労が蓄積され、目に見えて表情が変わっていくのがわかりました。
ライフラインの復旧にあたるかたも、遠方から応援にかけつけてくれて、復旧に向けて最大限の努力をしていただいていました。
いろいろな人の支えがあって成り立っているんだなというのを感じた次第です。
そんな助け合いの中でも、一握りですが、やはり自分の要求だけを満たそうとする人がいたのも事実です。それは非常に残念なことでした。
熊本の熊本城ですが、この復旧にはかなり費用がかかり、優先的な復旧が行われているように感じます。
熊本にとって、熊本城がないと本当に死活問題になるそうです。まだまだ仮設住宅で暮らしている人もいて、その人たちを優先的にという意見もあるようですが、その人たちを何とかするためにも、熊本城の復旧は必要なものらしいです。
5年という期間は過ぎましたが、まだまだ生活が戻っていない方がいるのも忘れてはいけないことだと思います。
さて、今回は熊本地震についての体験を書かせてもらいました。まだ伝えきれていないこともありますが、何か質問がありましたら答えられる範囲でお応えできると思います。少しでも大地震に備えての心構えにつながるなら幸いです。